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先日、家の近所にある茶室を見学する機会を得ました。
佐賀市の県立博物館南にある「清恵庵」という名の茶室です。佐賀城内公園の一画にお堀に面してひっそりと慎ましやかに建っています。この建物は昭和に活躍し、和風建築の大家と言われた「堀口捨巳」という建築家の設計になるものです。

「清恵庵」

アクセスマップ

Ⅰ.露地と茶室

a.露地

博物館の係りの方の案内で東側の屋根のある門から入ると飛び石から延べ段と続き北側の庇下の腰掛へとつながっています。その腰掛と矩折(直角)の位置に躙り口が付いています。
露地の延べ段の終わり位から左に折れると数段降りて蹲踞があります。
これは、日露戦争の陸軍の大将だった乃木将軍の庭に有ったもので、この茶室を寄付されたリコーの創業者の市村清氏の遺愛のものと伝えられています。
そのまままっすぐに進むと入口があり、寄り付きとなっています。


<屋根のある数寄屋門>

アルミ製でした。

<露地の飛び石と延べ段>

奥の延べ段の先に腰掛が北向きにあります。

<生垣>

茶室は笹竹の生垣で囲まれています。

<乃木将軍ゆかりの手水鉢>

少し掘りくぼめてある。左右の石が手燭石と湯桶石か。

<腰掛待合と躙り口>

腰掛は堅木のナグリ仕上げ。

<入り口と舟入場への木製階段>

踏み石から外縁を経由して入ったところが「寄り付き」。入口左に舟入場への階段がある。

<舟入場>

お堀から船で茶室に入ることができるようになっています。

b.茶室

茶室の構成は七畳半の広間席と四畳半の小間席があります。
七畳半の広間席は開放的でお堀側の障子を開けると南側に窓一杯にお堀が広がって見えます。(お堀の対岸の建物が少し残念ですが…)

◉四畳半席

茶道口から四畳半の小間席に入ると落ち着いた佇まいの空間となっています。少し変わっているのが、躙り口に障子が建てられていることです。
この茶室には、窓が三つあるのですが第四の窓として使うことを意図したものだと考えられます。
床は踏込床(松板)で隅は塗廻され、床柱は赤松皮付き丸太。落し掛けは杉の赤柾。床柱に花釘、床から3尺5寸位の位置に中釘(無双釘)と廻縁下に折れ釘があります。天井は床前が竹の竿縁の平天井で躙り口側が掛込天井となっていて境の下り壁に照明が仕込んでありました。
また炉の上部には釜蛭釘があります。腰張りは、亭主側、客座側いずれも和紙(西の内紙)の石垣張りで客座側は3段張りとなっています。炉は当初のものがつかわれていると思います。
仕上げの黄色い稲荷土が五徳付近では、熱でほんのり柿色に変わっていました。
茶道口裏に勝手1畳があり二重釣り棚と無垢板を使った二段棚があります。
水屋は広間席の東側にありふすまで隠すことができるようになっていました。


<舟入場からお堀を見たところ>

舟の通り道のハスがとってある。


<茶室内部 茶道口から見たところ>

左側が床の間、客座側の腰貼りは西の内紙の3段貼り。
右手が躙り口。天井は床前が竿縁(竹)の平天井、躙り口側が化粧屋根裏。
掛け込み天井の小壁に照明が仕込んである。


<躙り口と障子>

窓として使うことを意図している。


<障子>

茶室における障子紙の貼り方(継ぎ貼りといいます)です。ただし一般的には、横桟2段ごとに貼っていることが多いと思います。

障子紙の貼り方も流派で違いがあると聞いています。写真は裏千家の貼り方だと思います。継ぎ目の幅寸法も古書では1分から1分5厘程度が適当と言われています。


<茶室内部 躙り口から見たところ>

炉は四畳半切で炉畳が入っていました。 床は踏込床で床柱は赤松皮付き丸太。

床の横の窓は外部にはね上げ式の板戸がありました。


<炉>

本炉壇でした。毎年炉開きの11月頃に炉壇師が塗り替えると聞いていますが、これはどのくらい前に塗ったものでしょうか。五徳の周辺が熱で柿色に代わっていました。


<釜蛭釘(かまひるくぎ)>

釜の上部にある釜釣蛭環とも言われるものです。フックの位置で釜の中央に来るように取り付けます。

このフックの向きについても流派で違いがあるとのこと。「裏千家は下座向き、表千家は客付き」とされていることが多いようです。ここはなぜか亭主側に向いていました。


<床上部にある折れ釘>

稲妻釘が破損のためか鍵状の部分が欠落し、それで掛け軸が滑るためなのか、その上に虫ピンを斜めに打って仮の軸受けにしていた。


<床前から茶道口を見る>

茶道口の高さは5尺2寸ほどで方立は杉。奥に勝手1畳があり棚が設けられている。

ふすまは、太鼓張りとなっていて、切引手は塵落としとなっていて勝手口も同じ位置にありました。

土壁に貫の跡が模様となってかなりはっきり出ている。


<勝手1畳>

無垢板の2段棚


<勝手1畳>

竹吊りの棚


<水屋>

広間の一角にありふすまで閉じられる。
水屋は、中ほどに無垢板の通り棚がありその下に茶碗棚が釣り木で吊られています。
通り棚上方は左右隅に二重棚、少し広めの棚が竹と木でそれぞれつられています。その上部には戸袋が設えてあります。床下には、炭入れも設けてあります。

◉広間席

広間席は1間半以上の広い床で龍鬢表(りゅうびんおもて)の畳が敷いてあり矩折に琵琶床と地袋があります。
天井は小間席と同様平天井と掛込天井で構成され、水屋の前だけ網代天井となっています。
南の入側との間の障子を取り払うと南側のお堀の景色と相まって広々とした空間となります。広間席を使ったお茶会があっているようですが、部屋の一角ある水屋は丸見えにならないように屏風を立てて使っているものと思われます。水屋回りのお稽古を多人数でする場合は便利だと思います。


<床の間>

広間の床の間、龍鬢表の畳床。矩折に琵琶床と地袋がある。


<広間>

空調機のガラリがある。

<広間>

天井の構成は、四畳半と一緒。平天井の懐に照明を設けている。

Ⅱ.外観

屋根は瓦ぶき寄棟造りで庇の銅板葺きとの境は一文字瓦となっています。庇は銅板の一文字葺きで軒先下に雨落としの溝があるのですが、一部腰掛付近は銅製の軒樋が付いています。軒裏は、猿頬状に削った垂木で竹の小舞に杉の枌板。
壁は土壁で土味のある砂壁仕上げ(聚楽土塗りと思います)で壁下は巾木で納めてあります。ただ壁は土バチが巣をつくっていて無数の穴が開いていました。窓の連子竹は茶室には珍しい掘り込み留で敷居も鴨居も納めてあります。外部に便所(雪隠)があり竹を詰め打ちにした目隠しがあります。有楽窓から想を得たものと考えられます。巻頭釘で留めているところが、雰囲気が良く出ているように思います。


<茶室外観>

全体的に低くつつましやかに見える。「市中の山居」の趣。

<外観(北面)>

低い軒先と深い庇。


<土壁>

昆虫が巣をつくり穴が開いている。

巾木に設けてある風窓


<軒裏と窓>

軒裏は野根板、竹連子は掘りこんでいる。


<雪隠の目隠し>

竹を詰め打ちにしている。留付けは巻頭釘。


<庭木>

あまり見たことのない樹形のナンキンハゼの古木。パンフレットではムクの巨木があるとあったが、見学の時は見当たらなかった。

(あとがき)

この茶室は、公共のものであり高名な建築家が手掛けたものです。
また、寄付により県に寄贈されているにもかかわらず、あまり知られていない茶室です。
建物は使われてこそ価値があると思います。何とかこの建物を知ってもらうことが利用につながるのではないかと少しでもお手伝いできたらいいなと思っています。(利用は有料とのことでした)
私も、いまだ茶室の事については勉強を重ねているところですが、熟達の人たちの茶室に対する考え方は、定法をふまえつつも非常に自由な設計をされていると感じます。この清恵庵もしかりです。
茶室といういわば特殊な建物ですが、私はなにかその中には日本人が培ってきた自然との付き合い方がそこここに見えるような気がしています。
ああ、茶室をつくりたいなあ。
おわり